『モキシー~私たちのムーブメント〜 』Netflix(原題;Moxie)

『モキシー~私たちのムーブメント〜』Netflix (原題;Moxie) 2021年3月配信

 

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今回は前回に関連して、性差別に対して運動を起こす映画を鑑賞しました。

 

高校生のヴィヴィアンがシングルマザーのお母さんであるリサに影響を受け、モキシーという名前で学校の女性差別に声をあげます。

 

モキシーというのは、英語でMoxieという綴りで、勇気と訳されてました。

台詞でも古いと友達がいうシーンがあります。

 

本当に良い映画だと思います。

 

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いくつか感動した場面を書き起こしていきます。

 

ヴィヴィアンはいじめっ子など、自分に害がなければほっとけば良い、自分には関係がないという考えです。

 

そこで第一のターニングポイントが転校生ルーシーとヴィヴィアンと階段シーンで話し合います。ルーシーはいじめっ子のミッチェルみたいな者を放っといていたら、将来危険になると言います。ヴィヴィアンにとっては見たくないものは見ないを貫いてきたことに対して、虚をつかれたようになります。

 

これは今現在起きてることを黙認していると、後々新たな被害者が出てくることの危険性を言ってます。ルーシーはそんなことが起きてはならないと思い、常に声に出していきます。

 

その後、一人のクラスメイトがタンクトップで授業を受けていると校長に呼び出しをくらうという事件が起きます。他にもタンクトップ姿の生徒はおり、この女子生徒は胸が大きく、タンクトップだと胸が強調されています。しかし、そこに性的な意味はなく、日常着であります。

 

ここで起きてる問題は

”スラットシェイミング”・・・肌の露出が多い人を非難する行為(定義はもっと幅広いです)

 

これは、ビリーアイリッシュがオーバーサイズを着用している理由について話しているときにこの言葉を知りました。

 

これが女性差別として認識されるのはなかなか簡単ではなかったと思います。ステレオタイプな人は、露出が多い女性を間違ったほうに捉えます。

人それぞれの体型があり、着る服にも自由があります。それを性的に捉えるのは、捉えた側の思考の問題であり、着ている本人の問題ではありません。

 

その後、モキシーとして顔を隠してヴィヴィアンは活動し始めます。

彼氏もできたヴィヴィアンは、うまくいかないストレスがどんどん溜まり、母親の彼氏とのディナーで性差別についてのマウントをとろうと捲し立てます。

 

私はこのヴィヴィアンの気持ちが非常にわかります。友達の件でフラストレーションを溜めながら、自分が世の中のことを必死に頑張って変えようとしているのに、大人の男は何不自由なく過ごしている。そして、母の彼氏は、昔あった性差別表現をおもしろおかしく発言します。そんなことを何も気にせず平然と食事をしていることに苛立ちを覚えます。

 

その後、少しずつ友だちとの距離感なども大切にし、匿名であったモキシー活動に終止符を打ちます。

 

日本でもデモ活動に参加していることで、就職などに不利に働くような風潮があります。日本人のことなかれ主義はまだまだ強いです。

この映画を見る限り、アメリカでも少なからずそういった風潮は残っていそうです。

 

正しいと思うことはとことん声を上げるべきだと思ってる私はそう思います。

 

改めて共感や感動をした場面が多い映画です。

日本でもよく目にする問題でもありますが、なかなか日本の映画でこの類がないのは残念です。