久々の映画館『ゴジラVSコング』鑑賞 Dolby-ATMOS※少しネタバレあり
『ゴジラVSコング』2021年公開(原題:Godzilla vs. Kong)
8ヶ月ぶりぐらいに映画館に行きました。
コロナ禍で営業してたり、してなかったりで、映画館への興味がなくなってました。最近は配信系も凄い多くて充実してますし。
本当はRUNやクワイエットプレイスなど観にいきたいところです。
来月からドントブリーズ2するので早く観たいです。
そんなこんなで今回は、Dolby-ATMOSで鑑賞。
IMAX3Dもやってますが、理想としてはIMAXのみです。3Dで映画をしている意味がよくわからないのです。2Dであろうが、人間は視覚に入れたものを頭の中で3Dにしていると思います。(勝手な考え)
ハリウッドゴジラはかなり表情が豊かですよね。
キングコングは、人間との繋がりがあり、さまざまな顔をしますよね。
今回の対戦中も、終盤でコングがメカゴジラに攻撃したときのゴジラの表情はなんとも言えません。なぜかBL的な要素を勝手に感じてました。読んだことないですが。
コング、お前助けてくれるんだ的な表情です。ゴジラのアップになるたびに、どんどんキザなキャラなんだなと思い出されます。
これらは絶対に日本版ではないですよね。
日本のゴジラは自然災害などをメタファーとして、自然の神として描かれてますが、ハリウッド版は生物として捉えてます。これらの違いで全然ゴジラの捉え方は変わってきます。それだけでもゴジラって凄いキャラクターだなと思います。
ちなみに初期の日本ゴジラが一番好きです。1954年のゴジラは、水爆実験で現れたという設定ですが、実はあの映画めちゃめちゃラブストーリーが盛り込まれております。あれは恵美子を巡る映画です。
こういう怪獣系映画で好きなのは、キャラクターの造形です。
コングの故郷らしきところでは、よくわからない生き物が歩いてたり、襲ってきたり。
この造形はいくらみても飽きません。
今回の映画、残念だなぁと思うのは、
髑髏島をそのまま引き継いで、ブリーラーソンが出演してくれれば良かった。
小栗旬のセリフが異常に少ない。そして、死に方がダサすぎる。英語の問題なのか、芹沢を出したいだけだったのか。
香港輸送されるコンテナの中は普通の人間は耐えれるのかなど疑問です。相当のスピードだと思います。もう片方では、地球の空洞にいくのにかなりの苦労を強いられてるのに。
ミリーボビーブラウンが、スパイと言われる人を見つけるのも、正直よくわかりませんでした。なんで、そこにたどり着いたのって感じです。
この三人組はいなくても良かったんでは。メカゴジラは純粋に闘わせて、ゴジラとコングに負けるというのでも良いのに。パイロットも遠隔だから死ぬこともないし。
何よりもショックだったのが、メカゴジラの止め方です。
最後にどうしようもなく、ハッカー気取りの少年が、お酒で解決するという強引さ。
これまでのはなんだったんだと思いました。
ご都合主義映画が嫌いなのです。
次回からこれが面白かったですよというのを記事にしていこうと思います。
『今際の国のアリス』Netflix すみません、批判になります、、、、、
昨年、こちらを鑑賞しました。製作費もかなりかけられたドラマで、渋谷のシーンなどなかなか大変だろうなと思いながら見てました。
漫画がすごい人気だそうで、そこからのドラマ実写化という。
漫画は読んでないですが、ドラマは色々残念だなと。Youtubeのメイキング動画で、コメントに批判を書いたら、案の定すごい返信が来ました。中には、共感してくださる方もいました。
そもそもNetflixジャパンに求めていることは、より良いドラマと映画で、そしてそれらが世界に発信するとなると嬉しい限りです。
ただ2021年の現在、日本のNetflixオリジナルで作品として胸を張れるものはないと思います。
なぜあまり面白くなかったかと書きますと
・この世界の限界点がない
・主人公がなぜあんなにもみんなから信頼されているのか
・漫画通りに実写化することに意味があるのか
このようなことが何よりも気になったドラマでした。
一つずつ説明していきたいと思います。
・この世界の限界点
映画やアニメ、ドラマは全てファンタジーで、作り物です。ですが、その作り物の世界にも、何ができて何ができないのかが設定されております。
例えば、漫画『ドラゴンボール』であれば空を飛ぶのには修行が必要で、一般人もかなりの修行を積むことで習得できるようになります。何か超人的な技ができるということはそれなりの説得力が必要です。そして、物語に設定のない穴だらけだと、視聴者側は疑問点をもち、勝手な解決策を見出せます。するとその物語はどんどん破綻していきます。
このドラマにおいては
まずリゾートホテルで犯人をみつける時に、次々と戦いが始まります。
すると急に超人的なパワーで人を吹っ飛ばしたりし始めます。それを見た時に、ちょっと待てと思いました。銃とかで散々争っていたのに、それを無視し始める展開だと。
一方で、剣術の達人と戦う女性のシーンでは、実は男だった過去の暴露が始まります。かなり急でしたが、それまでの伏線は特になかったです。そして、すごい身の避けようで闘いが始まります。
今までになかったアクションです。ドラマの最初のほうでは、土屋太鳳がマンションをロッククライミングの技術で登り、特技を生かしてる部分は非常に面白かったです。現実の世界ではかなり頑張らないと不可能ではないですが、この世界ではそれがギリギリのようにも見えました。
常にこのドラマ中で、何が可能で、何が不可能かの設定がなくなっていきました。こうなってくるとなんでもありなので、突然変なことが起きても、理解ができないということになってしまいます。
・主人公がなぜあんなにもみんなから信頼されているのか
どんどん物語が進むにつれて、知恵を出し合い、トランプを手に入れていきます。そして謎のリゾートホテルで生き残りの人たちと出逢います。これまでさまざまな試練を乗り越えてきた人です。そんな中、主人公がテストのように、他の人とゲームに巻き込まれます。部屋の中のライトをつけるのはどのスイッチかというゲームです。
ここで複数名いますが、半分以上はパニック状態になります。なぜ????
いままでこのような試練にぶち当たってきたんではないのか。全く知恵を振り出そうとしないキャラクターたち。主人公の頭のキレを証明するためのゲームですが、なぜこれで判断するのでしょうか。
・漫画通りに実写化することに意味があるのか
これが日本の最大の課題だと思われますが、、、、
実写化というのは原作ファンがいて、すでにハードルが高くなってます。ですが、作り手からすると話の筋などを考えなくていいですし、作品の質以前に、収益が見込めるという点があります。特にラブコメ漫画などは設定も単純で特殊なこともないので、ローリスクハイリターンが見込めるので頻繁に作られます。スピードも速いです。観客側もすでに物語も面白いとわかってるので、地雷を踏みません。
そして今回のこのドラマですが、漫画を読んでる人からすると、色々と原作と比べて賞賛するべきところや、すでに補填されてる情報があるため、ドラマもさぞ楽しめる部分も多いにあるでしょう。私みたいに漫画の表紙すらみたことない者がこれをみた結果がこのブログの通りです。全員が全員というわけではないでしょうが。
一般的に原作から映画化だと、小説などがあり、それを脚本に起こし、映像で絵にするものなので、文字情報から読み取ると個々にイメージが違ってきます。
それが新しい発見だったり、キャラの癖だったりを映像で表現してたりなど、もしくはキャラの職業を変更してたりなどあります。
実写化というのはそういった目新しさがあります。
ただ漫画という2次元ですでに表現されたものを、さらに本物の人間を使って、映像化していくことは、ファンメイドでYoutubeに上がってる動画とさほど変わらないと思ってます。中には良い物もあると思いますが、パッとは思いつきません。
完全に批判になってますが、もっと新しい物を出していって欲しいと日本の映像業界には思ってます。そして、観客もそれを求めるように見る物を選んで欲しいです。
という単なる批判の記事になってしまいましたが、ご容赦ください。
『モキシー~私たちのムーブメント〜 』Netflix(原題;Moxie)
『モキシー~私たちのムーブメント〜』Netflix (原題;Moxie) 2021年3月配信
今回は前回に関連して、性差別に対して運動を起こす映画を鑑賞しました。
高校生のヴィヴィアンがシングルマザーのお母さんであるリサに影響を受け、モキシーという名前で学校の女性差別に声をあげます。
モキシーというのは、英語でMoxieという綴りで、勇気と訳されてました。
台詞でも古いと友達がいうシーンがあります。
本当に良い映画だと思います。
いくつか感動した場面を書き起こしていきます。
ヴィヴィアンはいじめっ子など、自分に害がなければほっとけば良い、自分には関係がないという考えです。
そこで第一のターニングポイントが転校生ルーシーとヴィヴィアンと階段シーンで話し合います。ルーシーはいじめっ子のミッチェルみたいな者を放っといていたら、将来危険になると言います。ヴィヴィアンにとっては見たくないものは見ないを貫いてきたことに対して、虚をつかれたようになります。
これは今現在起きてることを黙認していると、後々新たな被害者が出てくることの危険性を言ってます。ルーシーはそんなことが起きてはならないと思い、常に声に出していきます。
その後、一人のクラスメイトがタンクトップで授業を受けていると校長に呼び出しをくらうという事件が起きます。他にもタンクトップ姿の生徒はおり、この女子生徒は胸が大きく、タンクトップだと胸が強調されています。しかし、そこに性的な意味はなく、日常着であります。
ここで起きてる問題は
”スラットシェイミング”・・・肌の露出が多い人を非難する行為(定義はもっと幅広いです)
これは、ビリーアイリッシュがオーバーサイズを着用している理由について話しているときにこの言葉を知りました。
これが女性差別として認識されるのはなかなか簡単ではなかったと思います。ステレオタイプな人は、露出が多い女性を間違ったほうに捉えます。
人それぞれの体型があり、着る服にも自由があります。それを性的に捉えるのは、捉えた側の思考の問題であり、着ている本人の問題ではありません。
その後、モキシーとして顔を隠してヴィヴィアンは活動し始めます。
彼氏もできたヴィヴィアンは、うまくいかないストレスがどんどん溜まり、母親の彼氏とのディナーで性差別についてのマウントをとろうと捲し立てます。
私はこのヴィヴィアンの気持ちが非常にわかります。友達の件でフラストレーションを溜めながら、自分が世の中のことを必死に頑張って変えようとしているのに、大人の男は何不自由なく過ごしている。そして、母の彼氏は、昔あった性差別表現をおもしろおかしく発言します。そんなことを何も気にせず平然と食事をしていることに苛立ちを覚えます。
その後、少しずつ友だちとの距離感なども大切にし、匿名であったモキシー活動に終止符を打ちます。
日本でもデモ活動に参加していることで、就職などに不利に働くような風潮があります。日本人のことなかれ主義はまだまだ強いです。
この映画を見る限り、アメリカでも少なからずそういった風潮は残っていそうです。
正しいと思うことはとことん声を上げるべきだと思ってる私はそう思います。
改めて共感や感動をした場面が多い映画です。
日本でもよく目にする問題でもありますが、なかなか日本の映画でこの類がないのは残念です。
『全裸監督2』をみていて疑問に思った日本が世界に誇るものとは
なんやかんやほぼ一気見しました。
前回シーズンに比べたら、AVで駆け上がっていくものではなく、村西の転落ドラマであり、全てが終わりに向かうストーリーです。
なので、それがわかっている分、内心もやもやしならが鑑賞。
現在これが日本のネットフリックスではかなりプッシュされているようですが、正直あまり世界発信はされないでほしいです。エロやグロ、いわゆる過激なものでしか世界に勝負できないのは残念です。ネトフリジャパン。『今際の国ーーー』しかり。(これはこれで色々問題。また別で)
なぜポルノなのか。地上波ではできないことをNetflixでしているのでしょうが、できないからするは日本ぐらいじゃないでしょうかね。アメリカとかみていると、映画は映画、ドラマはドラマという垣根がわかりやすく、役者も二分していますよね。
今回、このドラマを問題視するツイッターをみかけましたので、ブログにしたいなと思いました。
ツイートには、世の中は男女平等や、性差別をなくしていこうという風潮がある中、日本のネットフリックスが『全裸監督』を世界にもうプッシュしていることに違和感がある。
そのようなことが書かれてました。
そこからなぜこの作品に違和感を感じてしまうのは、メインキャラクターである黒木香の裁判に関連しております。
黒木香が過去にプライバシーの侵害ということで裁判を起こしていたことです。
これが何の本、もしくは週刊誌の裁判なのか明確に書かれた記事が存在しないのですが、黒木香の主張は、未来永劫著作権があるということで、勝訴しております。
ポルノ問わず、自伝の実写化というのは、さまざまな面において配慮する必要があります、そうでないと訴えられます。
気にかかる点は過去に裁判沙汰になっている人を再現していること。ドラマ化していることが疑問であります。
果たして本人には許可を取ったのか、もしくは裁判を起こされても製作側は勝訴できる自信があるのか。憶測だけなら、色々と考えられます。
このような特殊かつ、地雷を抱えているかもしれないジャンルで、ネットフリックスジャパンは世界に発信しようとしているのか。
昨今、性差別やリベンジポルノなど、性や女性問題について色々浮上しております。
Netflix『モキシー 私たちのムーブメント』という映画もあり、これは性差別に立ち向かう女子高生を描いた物語です。※名作です。
この劇中であるシーンに、「女性問題であろうが、男性も声をあげて参加すべき」というような台詞がありました。
非常に共感できることです。女性の問題は女性のみが解決することは不可能です。それは、女性問題の根本には男性優位における思考が根付いてたりすることがあります。
そのような場合、男性が性差別に対しての運動を無視していたら、何が問題なのかを理解していない証拠です。
ジェンダーギャップ指数も低い日本が、このようなドラマを世界に発信していることは、おのずと恥を晒しているようにも感じられます。
逆になぜ『モキシー』のような映画が日本では作られないのか疑問です。製作費的な面においても予算は『全裸監督』『今際の国のアリス』ほどかからないです。
映画やドラマは、社会的メッセージを放つもので、単に面白いというだけを追求していくことが危険です。
ポルノが面白いと思ってるのは、一部の人間で、中には嫌悪感を示す人もいます。
『全裸監督』においても、AVへの偏見などが変わるようなメッセージ性は特になく、単にヤクザとの抗争に巻き込まれるというアクションドラマでもありました。
これからNetflixがどんどん当たり外れのある映画やドラマを生産してくるようですが、日本はそこまで数が多くなく、かつ今のところ良質な作品は一個もないです。
これからに期待ですが、その期待もかなり薄いです。
そんなこんなで終わりになります。
なぜや疑問が多い記事になったので、特に有益な情報はないかもしれないですが、疑問を持っていただければ幸いです。
Netflix映画『スケーターガール』と監督の短編について
『スケーターガール』(公開2021年)というネットフリックスの映画を観ました。
マンジャリ マキジャニー監督という女性監督です。
物語に関してましては、インドの貧しい村でスケートに出会った少女が輝き始めるという話です。非常にシンプルで観やすい映画。撮影において本当にすごいことは、実際にスケート広場を制作したことです。これは本当に映画の延長線上とは思えないほどの規模です。撮影後もうまく活用できてるようで、映画がもたらす力はすごいと思います。
物語は、インドの宗教観など関わっており、あまり詳しく知らない自分からすると面白いです。世の中知らないだらけだなと。
今回は物語について書くつもりではなく、監督の経歴である短編です。
少し調べたのですが、日本語のサイトがなくウィキも英語のみ。
そこから読みとった情報ですが、監督はインド生まれで、ハリウッドで仕事をしていました。ボリウッド映画というジャンルで活動しているみたいです。
日本の映画業界とは違って海外は短編映画から出てくる監督が多いです。今回のマンジャリ監督も、短編映画で力を認められ今回のネットフリックスの映画の監督をしております。
それまでにも、『ミッションインポッシブル ゴーストプロトコル』や『ダークナイトライジング』のインド撮影にも参加しているみたいです。
短編を見たいと思いYoutubeで検索しました。
The Last Marble(2012)とThe Corner Table(2014)
この二つは賞を獲った主なものみたいです。
前者は7分ほどなのでサクッと観れます。
こちらはセリフがなく、世界共通でわかる物語です。
一人で遊んでいる少年が、ビー玉を巡り新たな友達を見つけます。
後者は検索したところ、2分だけ上がってました。フルでみる場合は「indieflix」というコンペサイトに登録したら観れるみたいです。これはショートフィルムサイトあるあるです。2分だけではあまりわからなったですが、カフェで予期せぬ出会いがあり、そこから物語が始まりそうでした。
ビー玉の短編は、浮き沈みがあり、映画に必要な要素がありました。このぐらいのことができないと大きな映画はできないのでしょう。
『スケーターガール』においても、この監督は一貫してインドという国でも、どこでもだれでも、いつなんどき新たな希望が降ってくるというメッセージ性がありました。努力とかそういった根性論の話でないのもいいところです。
みんなに希望を与えようと映画を作っていることがわかります。
長編であり、映画でありながらスケート場という副産物を生み出したこの映画はプロデューサーたちもすごいと思います。
もう一つこの方の気になる作品があります。
I see you (2016)という映画になります。短編なのか長編なのかわかりませんが、予告をみましたが面白そうです。
テロリズムの男が地下鉄で女の子に話しかけられ、これまでのことを考え直し始めるが、時限爆弾をもっているという話です(多分こんな感じ)
緊迫した映画というのが予告からもわかります。予告はタイトルと監督(Manjari Makijany)の名前の検索で出てきます。
これらをみていると、監督は主人公の気持ちの変化を物語を通じて変わっていくことが明確でわかりやすいです。至極当たり前ですが、結構難しいことです。
これから、もっと長編映画を撮っていくことだと思うので、
マンジャリ マキジャニー監督の名前は覚えいても良いのではないでしょうか。
PS, スケボー最近していないブログ主
本当やりたいなぁと思いながらしておりません。やっすいスケートボードしかもってないですが。
映画『ペーパータウン』(原題;Paper Towns) 映画と原作を洋書で読んでみて
みなさま、映画『ペーパータウン』という映画をご存知でしょうか。
2015年に映画化され、日本では未公開。(私はAmazonPrimeでレンタルしました)
これを知ったのは、英語の勉強も兼ねて、いろんな本を探しているときに薦められた本でもあります。英語初心者にもお勧めでもあります。難しい表現も多いですが。
300ページに及ぶ青春小説であり、思春期心を思い立たせる物語でした。
物語は、主人公のクエンティンが、近所の幼馴染であり、イケイケのマーゴの失踪したのを探す話です。さまざまなヒントを頼りに、友達と試行錯誤していく『スタンドバイミー』の少年たちでもありました。
こんな面白い要素のつまった本であります。
結構、読み終わるに時間がかかりました。購入したのは2019年8月なのに、何回も挫折し、2021年に本腰をいれ、2021年5月下旬にやっと読み終わりました。
とりあえず、わからなくても読み進めることをし、わかるところを最大限に拾っていく。なんとか読了。
それでも今なにが起きてるかぐらいは理解できるので、話は非常に面白かったです。
これが映画化されてるのかと知っていたので、読み終わったあとは映画を見ようと心待ちにしてました。
では、映画『ペーパータウン』の画像をご覧ください。
さぁ、なんとも言えない画像です。もうこれをみた時はショックを受けました。
これは面白くない映画だと。。。
いざ、鑑賞。
なんかもう原作を読んでいたときの気持ちはいずこへ。
映画の物語の進み方は、原作に忠実であり、どんどんヒントを見つけていきます。
早すぎる進み具合にうまく行き過ぎておりました。
そして、本来は友達同士で卒業パーティに行くか行かないかで揉める時間や、マーゴとの思い出を振り返る時間など、色々ありましたが、この映画にはそんな余韻はないです。
原作では、マーゴのとこへ向かう車中シーンはかなり長いように感じられ、1時間、2時間と刻んで物語が進んでいきます。
この車中シーンは結構分量も多く、ラストへかけて面白くなるピースなのに、それを映画はずさんに描いておりました。ただ車で向かうだけ。
そして、ラストではマーゴとやっと出逢います。が、、、そんなとこで出会うの、、、、、なんか本ほどのドラマチックな要素もない。。。。
色々、大事であるはずの要素が抜けていて残念でした。
ここで、私が思うこの映画がよくなったはずの脚本を提案します。
※時間の流れは原作にはのっとらない。
全編車中シーンをメインにし、これまであったマーゴとの思い出、ヒントなどは振り返りの要素として引き出していくという映画です。
そうすることで、長いドライブシーンを観客に感じさせ、目的地にやっと到着したと思えるような演出にできます。
なぜ原作に忠実にのっとったか。今回の一番の疑問です。
映画というのは、映像であります。映画化するなら、原作を映像にアップデートしなければ意味がないです。
これは漫画映画においても同じです。映像化して、ビジュアルにして、映画にするなら話を作り込まないと、外見のみを表現したものでしかない。
そういった映画でいえば『バーニング 劇場版』というのは、原作が村上春樹の「納屋を焼く」です。
村上春樹の原作で、映画化して成功してる素晴らしい例であり、数少ない村上春樹原作の成功した映画化です。(「風の歌を聴け」”監督大森一樹”というのも素晴らしいです)
村上春樹の原作映画についてはまた記事にしたいと思います。
難しいだろうな。恥ずかしいな。
では、またよろしくお願いいたします。
初投稿は映画『初恋』について
みなさま初めまして、ユーと申します。
なんとなくブログを始めてみようと思い、始めました。
最近はまだ仕事をしてないので、こういうものがいつか収入源に繋がれば嬉しいですが、そんなものは遠い未来の話です。
本日は映画『初恋』2019年に公開された映画について話そうと思います。
監督は三池崇史、主演は窪田正孝で、ヒロインには小西桜子という方が出演しております。
※ずっと井上真央が出てると思ってました笑
話の内容など詳しく知りたい方はウィキで調べてください。
簡単に話すと、ボクサーがヤクザの抗争に巻き込まれる話です。
見た感想としては、冒頭の期待からどんどん下がっていく感じでした。
三池崇史監督は日本人の監督の中では好きな方で、これまでも何本か見ております。
全てではないですが、
『極道黒社会 RAINY DOGS』『SABU』『オーディション』その他、漫画原作の映画など。
フィルモグラフィを見ると、極道もの映画をメインとしてきた監督ですが、少しずつエンタメ映画にシフトしてきて、『初恋』に関しては、その経験と現代のエンタメの融合された映画です。
なぜ冒頭から話が進むにつれ、どんどん映画への期待値が下がってきたかと言いますと、
・窪田演ずる葛城レオという新人は、才能のあるボクサーであり、ヤクザとどう絡んでいくのかという物語としての肝。
・そして、モニカというシャブ漬けの女の子は、幻覚が見えるというホラータッチな演出があり、『オーディション』という映画を思い出させる布(小道具)の使い方。
単なるヤクザ抗争の映画ではなくて、心の闇をホラーで描いていくのかと思えました。最初は。
まず前提として言っておきますが、昔の東映ヤクザ映画を期待してたわけではありません。今の時代にはそぐわないです。
これら二点の要素は、映画のストーリーであり、ビジュアルでもあると思います。首が飛んでるシーンも、この映画のビジュアルや映画のリアリティレベルを示す演出でもあります。
そんな面白要素をただ冒頭で見せられただけで、映画に関わってくるかと思いきやそんなことはなかったです。
葛城レオは生きる人生を見いだせなくなり、道端で出会ったモニカと共に行動し、ヤクザ抗争に絡んでいくわけですが、全編を通してレオに意思がないことが何よりも残念です。
期待のボクサーで、何も意思もなくタダ目の前に起きてることについていってるだけで、ロボットのようにか見えず、感情移入はできず。
結局、モニカの過去を辿るように、旅をするが、その間にレオ自身の過去は何も掘り起こされず。
徐々に演出がコミカルに変わり、ボケなのかわからないセリフの応酬。
ベッキーが出てくるが、最初のほうで死ぬのかと思いきや、ラストまでボケ倒しながら出演。破天荒キャラになっていくが、キャラが濃すぎて、主人公や、染谷などが地味にしかみえない。大森南朋もやさぐれデカだが、中途半端に弱く、残忍さもない。
車中シーンでの会話合戦も、テンポがいいとは言えず、セリフを並べてるだけにしか見えない。車のフロントに急に飛びかかるベッキーは異次元級で、おそらく主人公の葛城レオより、ボクシングが強い。
冒頭から刀で首が飛ぶなどは、演出としてありだが、キャラクターの超次元的な動きは、映画としてのジャンルが変わってくる。
最後のアニメーションに関しても、すでにファンタジー。ヤクザ者自体、ファンタジーだが、、、、
※アニメーションを使った演出は良い。
もっと葛城レオの人生を掘り起こして、モニカの過去との決別をしてほしかったです。
偶然、過去に同級生に出会ったモニカであって、モニカ自身の努力は皆無です。
そして、葛城も成長は見られず、捨て子であった設定はなくてもいいような感じです。
親に見捨てられてた二人というのは、共通項としていいですが、接点がないです。
今回観て思ったのは、三池崇史も改めて、ホラー映画を撮ってほしいです。
『オーディション』という映画は、私の中では一番のホラー映画であり、演出も記憶に残ります。
今回の映画も、そんな要素があったので、やはり撮れる人なんだろうなと思いました。
最後に驚きが一点。
アウトレイジビヨンドで、塩見三省さんがかなり体調が悪そうだったので不安でしたが、この作品では回復したようにも見えました。ほんとそれだけは見ていてホッとしました。
そんなこんなで一回目のブログを書き終わります。
これ観た方いましたら、コメントなどなにかください。
すごいファンの方、申し訳ございません。
それでは、また書きたいと思います。
興味ある方ぜひ観て見てください。